倫理を学んで半年の私が、今の理解度を棚卸してみた

今回は何も前置きせずに入っていきましょう!

尊己及人

ここを読んだ時、私にはすごく刺さりました。
道具を大切にする人でも、自分自身を大切にしていない事が少なくない。

人の為、家族の為にと自分を犠牲にして働いていたり、
自分の存在を軽く考えていないでしょうか?
そんな状態でいくら相手を尊重したとしても、
尊重のレベルが低くなってしまう。

心が伴っていない、形だけのおもてなしを受けても、心が動かないのと同じ。

この世の中で何よりも尊い存在は”自分自身”である。
で、相手を尊重しようとするならば、この一番尊い自分自身と同じレベルで向き合えば良い。
自分の為にする事が、相手の為になり、
相手のためにする事が、自分の為になる。
自分と相手(周囲)との境がどんどんと薄れていく。

ここまで到達すれば、真に人の為、人に影響力を及ぼす存在になる。
と言う事かと。

人生神劇

ここは、こんな2つの言葉が並んでいる。
「人生は神の演劇」
「その主役は己自身である」

前半部分だけ読むと、
神様の手のひらの上で決められた事をなぞるだけ。
みたいに読めちゃう。

大事なのは後半の部分
「主役は己自身」
舞台の中心人物として配置されているのが己である。
振る舞いや能力はハッキリと決められておらず、
舞台を作った『神』のルール内であれば、自由がきく。
主役を与えられているのだから、主役が輝く振る舞いをするのは認められるわけだ。

ただし、なんでも自由気ままにやって良いか?というとそうではない。
舞台を作った『神』は舞台の観客でもある。
観たくない舞台になろうとしていれば、そこに何かしら手を加えるかもしれない。
手を加えられた舞台の主役は、常に向かい風の中を進むような感覚になる。

逆に、常に追い風を受ける。見えない支援を受ける主役になるにはどうするか?
『神』が愉しむ舞台を演じる事。
何を愉しいと感じるのか? 倫理に乗った主役の活躍だ。

7つの原理から全個皆完

17ヶ条を3つづつ書いていたら、最後は2つになるわけで
17ヶ条の元になっている原理についても半年間でちょっと学んだから1つ書いておこう。

全個皆完の原理(ぜんこかいかんのげんり)
この世に存在するものは(物質以外も含む)、完全な状態である。
そこに足りないとか、余るものは何もない。
存在する意味がないものなども何もない。

簡単に言うと「それが良い」と受け入れる事をする。
って理解しています。

身の回りに居るいつも厄介事を持ってくるいわゆるトラブルメーカーも
「それが良い」
99%自分に非がないと思われる問題が起きても
「それが良い」
と事実を受け入れる事が大切だと。

「それが良い」と受け入れる事をしないと、
現実から逃避になってしまい、本来であれば対処ができて、進展につながるようなことも
何も変えることができず。ただの嫌な事実で終わってしまう。
コーチングや、企業向けのファシリテーションで
ターニングポイントを見つけることができる人は、このように
事実は事実として、自分の感情を切り離して受け入れる事ができるかに掛かっている。

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