間違いだらけの「和を以て貴しとなす」

「和を以て貴しとなす」(わをもってとうとしとなす)

とある調べ物をしていた時に目が止まった言葉です。

もとは聖徳太子が制定した十七条憲法の一文らしいですね。

前の職場に似たような社是があったなぁと思い出しました。

結構、「和=調和=波風立てない」ように使われていましたが、元々の意味は少し違うようです。

間違いだらけの「和」

昔ながらの組織社会で、こんな感じで使われていませんか?

上司の言うことに黙って従っておけ。
声が大きい(物理的ではないですよ)人の意見にならえ。

その場ではそれで良いかもしれませんが、それで何になるのでしょうか?

とあるプロジェクトを進めていくことを想像してみましょう。

 

ある日の朝、突然会議室に集められた数人のメンバー達。
そこに少し遅れて上司が会議室に入ってきます。

上司はプロジェクターで、ある資料を映し出します。
そこには来週から始まるプロジェクトの内容と、体制、スケジュールがありました。

「これで進めます。質問があれば言って。」

説明もうやむやな状態で終わり、上司はこう言い放ちます。

意見をするとカドが立ち、「和を乱さないで!」と叱責されるのを知っているメンバーは何も言わず会議は終わりました。

さて、来週からのプロジェクトは無事に終わることが出来るでしょうか?

始まりでは小さな不満だったかもしれませんが、
時が経つにつれてその不満が大きくなり、後戻りできない状態になっているでしょうね。

不満をぶつけあう事が「和」

和」の精神とは、体裁だけ取り繕ったものではなく、自分にも人にも正直に、不満があればお互いにそれをぶつけ合い、理解し合うということが本質ではなかろうか。

引用(故事ことわざ辞典)

聖徳太子が制定した意味としては、カドを立てるな、仲良くやれ。

ではなく、

満足していることも、不満なこともぶつけ合って、理解し合って進めていこう。らしいですよ。

全然違っていませんか?

不満、間違いを受け止められるか?

仕事の進め方などで、不満や間違いを受け止められますか?

(人間性に対しての不満は受け入れられなくて構いませんよ)

これを可能にするには少なくとも2つが要素が必用ですね。

  1. 目的が同じである
  2. 信頼・尊重できる

1つ目の「目的が同じである」
個々の目的ではなく、
全体の目的意識が統一されていて、皆がそれを第一としている事。

きっちりと明文化するか、言葉で発しておくことが大切ですね。

「言わなくてもわかるだろ」は言わなかった側の怠慢でしかありませんよ。

2つ目の「信頼・尊重できる」
信頼・尊重できる相手でなければ、
その人の意見はどれだけ正しくても、フィルターが掛かって入ってきてしまいます。

逆に、信頼・尊重できる相手であれば、
その言葉が多少きつくても受け入れることはできますよね。

信頼・尊重はあったのか?

少し戻って、先ほどのプロジェクトの発表の場面を思い出してみましょう。

上司とメンバーの間で信頼・尊重はどれほどあると思いますか?

また、どのあたりを変えれば良くなると思いますか?

 

 

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